なんとなく

誰得感満載な記事が多いかも。Mono関係とLinuxのサーバ関係、レビューとか。

記憶の逍遥

匂いや耳から入る音で記憶を呼び起こされることは、時々あることです。
年末にあったなんだか記録に残しておきたいなぁと思ったことがあったので
書いてゆきます。

面と向かった人との話でも記憶を呼び起こされることはありますが、
話の流れとか相手を考えて、深い思考に入ることはあまりできないです。

twitterさんを始めてからは、TL上に流れる誰かの言葉で
記憶の深淵にものすごく長い手を突っ込まれて、ピンポイントを
さらっと触られて、思い出すスイッチを入れられ、さらに
自分で思い出した記憶でさらなる記憶を思い出すということが
よく起こります。

「記憶の逍遥」と私は呼んでいます。

2011春にテレビを購入して、仕事柄?アニメを多く見るようになり、秋から始まった

ラストエグザイル-銀翼のファム
http://www.lastexile-fam.com/

を見ていたのですが、

第8話でグラキエス語(ロシア語)が使われていて、おっ!ロシア語と思ってました。
劇中で日本人声優がロシア語が下手なのは当たり前として、
物語の中である程度重きを置かれる対象物でのロシア語の単数と複数の使い方が
私としては納得が行かなかった㋡

というのも、
二人乗りの小型飛行機で操縦者が発する言葉の主語が単数だったのです。
飛行機として見る場合は、単数だし、乗員として見る場合は、複数で
物語のなかでは、二人で協力して動かしている船という感覚で複数であってほしかったのです。

ロシア語の表現としてそれが妥当かどうか判断できないというところでモヤモヤしていて、
それを監修しているのがロシア人声優のジェーニャという方でした。

ロシア人で声優やっている人ってどんな方なのだろうという感覚でtwitterでフォローしてみました。
ロシア語のモヤモヤ感はジェーニャにmentionでつぶやいたらスッキリしてしまいました(^^ゞ

ジェーニャってどういうことやっている人なんだろうという感覚でネットの波に揺られていたら、

Jenya - September Rain

を見つけました。この歌い出しが、ロシア語を勉強していた頃によく聴いた

ДДТのДождь

に似ていて、
そこから、ロシアの歌をヘビーローテーションしていた大学生時代を思い出し、
記憶の逍遥をはじめました。

忘れていたけど、働き始めたばかりの姉から貴重なお金をもらってMDレコーダを買って
ロシアのCDからMDに入れて聴いていたという記憶を思い出しました。

そのMDには、当時好きだったロシアのバンドのДДТやЛицейのアルバムを入れていました。
ДДТのアルバムでは、ちょうどАктриса Веснаの頃です。1992年の発売ですが、聴いていたのは、96〜98年頃です。
このアルバムの一曲目に入っているのがДождьでした。

大学は青森の大学に通っていて、MDレコーダは、ポータブルだったので、青森⇔茨城の実家の移動時によく聴いていたのが一番記憶に残っています。
交通手段は、青森⇔仙台は高速バス、仙台⇔実家は、常磐線の普通でした。車窓に流れる景色見ながらよく聴いてたものです。
仙台から茨城に南下してくるとちょうど竹林が生え始めてきて、あー、実家に近づいてきたなぁと感じたものです。
色や匂いまで思い出せそうなくらいです。
郷愁とメロディアスで無骨なДДТの曲は、そのような感じで私の中で関連づいています。

ただ、その常磐線は、2011/03/11の地震による津波とその後の原子力発電所の事故により未だ普通区間があります。
あの風景を見ることのできない悲しさ、憤りを感じずにはいられず、
そして、いろいろなものに対しての自分の無力感に悔しい気持ちと残念な気持ちが入り乱れます。
慚愧に堪えないという言葉が適切です。

記憶の逍遥は一方にとどまらず、他方に、放射性物質のように再帰的で逓減的に収束するまで続いてゆきます。



他方では、私のつぶやいた言葉に


などと絡まれて嬉しくなったりもします。

記憶の深淵にものすごく長い手を突っ込まれて、さらっと触られる感じと
そこから再帰的で逓減的に収束するまで続いてゆく記憶の逍遥は、嫌いではありません!

これからも、記憶に悶えながら、逍遥していきたいと思っています。
関わっていただけている方ありがとう。